発達障害児の発表会の様子
発達障害グレーゾーンの我が子の保育園の発表会に行った。
2歳児クラス、うちの子は4月生まれなのでその中でも出生年月は長い方
他の子は座れる、歌える、台詞を言える中
座れない(前に出てウロウロするか、先生がずっと抱っこしてくれてる)
当然歌えないし、台詞も言えない
わかっちゃいるけど打ちのめされた
同い年の中で1、2歳下の子が混ざっているようだった。
救いなのは、聴覚過敏でもないし、人の目が気になるタイプじゃないから、耳をふさいで泣いて叫ばないこと
加配の先生をつけてもらっていたから、他の子の邪魔にならなかっただけよかった
発達障害児の発表会系は、親は公開処刑な気分
これからも発表会では毎回、集団の群れから浮いてしまっている我が子を見ることだろう
でも、今ココを見て、目を逸らすことだけはしちゃダメだと思う
我が子は我が子なりに頑張っていて
それを見に行くということ
現実から目を逸らして、見たくないものに蓋をしても事態は好転しない
現実を見て、どうしたら我が子が幸せに過ごせるのか
「そのためにどうアプローチして行ったらいいかを考えろ!」と思考が緩慢になっていたところにビンタをかまされた気分だ
「よくできたね。うふふふふ🌸」は残念だが今のところ望み薄だ
では、気持ちにどう整理をつけるのか
まず、我が子にどうなってほしいかを考え直した(人生をコントロールするという意味ではなく)
- 笑顔が消えないでほしい、幸せに過ごしてほしい
- だからと言ってホームレスのような生活は送ってほしくない
- 雨風がしのげる家に住んでほしい
- 病気になったら病院にかかれるだけの戸籍と資産を持っていてほしい
👆というのが絶対条件だな、と思う(頭で考えるより、紙に書き出すと頭の中身も整理されてオススメ!)
すると見えてくるのが
発表会で人並みに発表できないからと言ってクリティカルな問題ではない
と言うことだ
望みはいくらでも高くできる、
高給で危険じゃない仕事に就いて、いいお嫁さんをもらって、孫ができて、重い病気もなく・・・エトセトラエトセトラ
でも、まず自分の胸に聞いてほしい
自分が何も躓かず、不満の無い日常を送れているのかを!
ちなみに私は送れていない! むしろ、躓きまくって「転生できねぇかな・・・」という想いに耽っているぐらいだ
自分にできないことを人に強要するな!(ブーメラン)
・・・脱線気味になったが、何が言いたいかというと
上手くできないことだってあるけど、日常生活を平均点以下でも送れてればいいじゃない
赤点で毎日、心と生活環境が戦争ばりに荒れ果ててなくて、過ごせればそれでOKにしようぜ・・・
ということである
何かしたって上手くできないかもしれないが
何もしなければ、それこそ何も起こらないから
発達障害児と日々向き合っているママさんやパパさん、療育なり行ったり、子供に良い刺激を与えられるよう格闘している同士がこの世界にいるだろうことを思って
毎日お疲れ様です。
こんな日にはケーキでも買って、自分を労いましょう
(‘ω’)ノバイチャ
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