Amazon Primeで「ミッドナイトスワン」を視聴
思ったよりすごくよかったのでレビュー書きます
映画のお手本みたいな手法や
丁寧な伏線と回収が見受けられたので、それを主がまとめたワン
あらすじ
故郷を離れ、新宿のニューハーフショークラブで働くトランスジェンダーの凪沙(草彅剛)。ある日、育児放棄にあっていた親戚の娘・一果(服部樹咲)を養育費目当てに預かることになる。叔父だと思い訪ねてきた一果は凪沙の姿を見て戸惑い、子供嫌いの凪沙も一果への接し方に困惑するが、同居生活を送るうち、孤独だった二人は次第に、互いにとって唯一無二の存在になっていく。「母になりたい」という想いを抱き始めた凪沙は、一果のバレリーナとしての才能を知り、一果のために生きようとするが…。 |
映画本編を観てからがいい人は、ここでUターンわ!
壮絶なネタバレがざっくざくわん!
解説:凪沙の自己の性への向き合う変遷
流行りのLGBTQをファッションとしてでなく
どこまでも自己の存在意義の証明。
人間性を確立するための、本来ヘテロセクシャルが無意識に享受している、世界からの存在の容認される性と自己の一致に関して、きちんと描かれている作品。
ニューハーフショークラブ時代
元々、凪沙は昔から「普通の女の子」になりたかった。
男として生きる歪さを受け入れられず、ニューハーフショークラブでホルモン注射を打ちながら生きている。
それから一果と出会い、「一果の母親になりたい」という気持ちが変化していく。
(一果をアパートに案内する際「子供が嫌い」と言っているが、サッカーボール少年とのシーンから実は子供が嫌いではないことを描いている。)
一果のバレエを応援したい気持ちから、母性が芽生え始める
コスプレ撮影店の事件から一果のバレエへの思いを知り。
1人にしていられないと連れて行ったニューハーフショークラブで踊ることで場を鎮めた一果の才能を知らしめられる。
そんな一果を応援したいという気持ちもあるが、すぐにお金を工面できないためバレエ教室へ。
先生は思わず、凪沙のことを「(一果の)お母さん」と呼んでしまい。
呼ばれたことに驚きながらも嬉しさを隠せない(自分の中の母性。母親になりたい気持ちに気づく)
バレエは体づくりからと思ったのか、栄養を考えた献立。共に食卓を囲む。
それからは、一果の母親として、一果を支えたいと、行動に出ていく。
オカマとして就活
一果のバレエの費用を工面するため、オカマとして一般企業に応募するも
面接でLGBTQへの理解の無さに絶望する。
オカマとしてヤリ部屋で稼ごうと考える
では、自分のままでニューハーフショークラブよりも稼げるところを探した結果
瑞樹が彼氏に貢ぐために、身を落としたヤリ部屋風俗に挑む。
が、自分を大事にしない、オカマとしての自分を乱暴に消費・搾取されることに耐えられず
逃げ出してしまう。
逃げ出した凪沙に激高する客。
凪沙を助けるために客をモップで殴り倒す瑞樹。
泣きながら「なんでうちらだけこんな酷い目に遭わないといけないの!?どうしたらいいの?」と慟哭する。
この叫びは、世間から受容されず、そのままの姿で受け入れられず、社会から孤立し、搾取されているLGBTQの人たちの叫びなのかもしれない。
自らを偽り、男として倉庫の仕事に従事する
ヘルメットに名前を書くときに本名である「健二」と書くのをためらう
それは凪沙である、”本当の自分=女性性”を否定する行為
結局、一果のバレエのためと「健二」の名を記した。
バレエコンクールで実母に縋った一果をみて、自分が女でないから母親になりきれないのだと思う
踊れなくなった一果が求めたのは凪沙ではなく、ネグレクトした実母だった。
自分が女ではないから、母親になれないのだと思う。
母親になるためにタイで性転換術を受けて女になる
ホルモン注射を受けていた病院ではおそらく、瓶貯金のお金が足りなく、格安で性転換術のできるタイを選んだのだと思われる。
女の体になり、一果のお母さんになれると考え、広島に迎えに行く
も、一果の母親に反対され、その彼氏ともみ合いになり、豊胸した胸もあらわになる
「一果、私ね。女になったから、お母さんにもなれるのよ。一果のお母さんになれるの」
の言葉に全てが現れ、証明される。
中学生で母親の決定権がないためか、追うに追えない一果。と広島を後にする凪沙
術後の経過が悪く、術部から出血、オムツで寝たきりに➡人間になりきれなかった白鳥
中学を卒業後、凪沙と会えると、実母と約束していた一果。
家に着くと、術部から化膿交じりの多量の出血が漏れたオムツをはき
呻き寝たきりの凪沙
死の間際、一果と海に行く凪沙。そこで2人はとうとう母子になれた。
解説:伏線と回収
女でも男でもない⇒母親に勝てない⇒母親になる為に性転換手術
病院でホルモン注射後に母親に怒られている少年に出くわす
ぐずっている男の子に優しくサッーボールを渡すも、男の子は母親の元に行ってしまう(サッカーボール少年伏線)
ーーー
ホルモン注射の副反応で酷い体調不良に
薬を飲みながらこらえつつ
一果に「私が怖い?気持ち悪い?」と問いかける(化物伏線)
ーーー
一果のために、自分の女性性さえ偽って働き、バレーコンクールに行かせるも
実母と抱擁して安心を得る一果(”母親の証”伏線)を見て
自分が「女ではないから母親になれない」と思い(サッカーボール少年シーンの伏線回収)
性転換術をタイで受けることに
ーーー
豊胸と膣形成もやったであろう「女に成った」姿で一果を迎えに行く
一果が凪沙の服を掴んで抱きしめる。母親と認定して頼っている印(バレーコンクールの”母親の証”伏線回収)
が、豊胸した胸があらわになり
一果の実母から「この化物が」と言われる(”化物”伏線回収)
瓶貯金(性転換手術費用を表す小道具)
週1のホルモン注射に通っている医院の医者から、いいかげん性転換手術を受ければと促される
その直後にアパートの瓶に財布から余ったお札を突っ込んでいることから
凪沙が性転換手術をするために貯金をしていることが伺える
お札の入った瓶は性転換術費用を表すアイテム
---
部屋でのシーンでもちょこちょこ近くに映りこんで存在を主張している
ーーー
タイの性転換手術のために持参している
水槽と金魚で表す対比
性転換術を行っていない頃の凪沙
凪沙の部屋には寂しさを埋めるためかのように、大きな水槽の中で家族の金魚が泳いでいる。
観客に後で、金魚の水槽を使った、過去の凪沙と、病気で瀕死の凪沙の差異を見せるための小道具となっている。
そのため、序盤の一果への部屋の説明の時にわざわざ
「私がいない時に金魚にエサね」
と認識の誘導が入っている。
絵の半分を占めるカットシーンもあり
凪沙の部屋の象徴的な小道具の一つ
性転換術後、患部が膿んでしまい瀕死の凪沙
美しかった水槽は見る影もなく、藻がはびこり。
病で寝たきりの間に金魚が全滅したのか、何も生き物は入っていない。
性転換術前の凪沙のギャップを描いている。
広島から東京に戻ってきてくれた一果が下手ながらも豚肉の蜂蜜生姜焼きを作ってくれる。
「私だけ美味しいもの食べてごめんね」「たくさん食べて」と言いながら、何も生きていない水槽にエサをあげる凪沙。
何も生き物がいない水槽にエサをあげる姿を映すことで、病で正気でなくなってしまった姿を描いている。
一果の高ストレス環境のバロメーター1⇒腕を噛む自傷行為
広島でネグレクトを受けていた頃の一果
泥酔した母親を迎えに行き、酔って当たり散らされた上に「誰のために稼いでると思う」と責任転嫁される
1人部屋で腕を噛み、ストレスを耐え忍ぶ(ストレス噛み伏線)
ーーー
バイト先が摘発され、バレエ教室に通う資金源を失う
バレエ教室に通えなくなる➡高ストレス➡腕を噛む自傷行為が出る
(ストレス噛み伏線の重ね掛け(観客に忘れないように、というのとストレス時に頻回する行動だと意味づける))
ーーー
性転換手術後、一果の母親となるべく広島の一果実母の実家へ
一果の腕を確認すると新しい噛み跡が複数見られる(高ストレス環境の伏線回収)
直前のシーンでコンビニの前でたむろしている仲間とつるんでいることから
一果の荒んだ生活が伺える
一果の高ストレス環境のバロメーター2+おとなしさへの否定⇒椅子を投げる
学校に来た際に凪沙の性別のことをなじられ、同級生に椅子をぶん投げる
この時はまだ、凪沙に母性は感じていなかったろうが
「うざい、むかつく、この状況をぶっ壊したい」時に出る一果の外への攻撃方法
この表現によって、「口数が少ないとおとなしいと思われがちだが、一果は違う」と言うことを表現している
コスプレ撮影の個人撮影でも、水着の着用を強要されて
同様に椅子を投げることで自分を守る姿が見られる
何故Rinは死んだのか
親の欲望を満たす人形の人生で
それすら果たせなくなり
本当にバレエを取ったら何もなくなってしまった。➡お姫様になれなかった白鳥の一人
親の言いなりから自分を解放した、ともいえる。
自室には自分の写真だけでなく、幼き頃のバレエ少女だった母の写真も飾られている
「ママが勝手に飾ったもの」とRinも言っており
自分の部屋でさえRinの思い通りのものではない
親に黙ってお小遣い稼ぎをしていたコスプレ撮影店も
一果に個人撮影を勧めたせいで警察沙汰となり、「親に干渉されない自分の環境」を無くすこととなる
その後、痛めていた足が足底腱膜炎と言うことが判り、
以前の様に踊ることができないと医師から伝えられる。
バレエの進路が断たれ
母親が医師に「この子からバレエを取ったら何も残らない」と訴える。酷いやつである。
バレエを取ったら何も残らないようにしたのは母親であり、Rinは生存戦略としてのバレエがなくなった。
Rinは始終能面のように無表情。
「バレエを取ったら何も残らない」と言い放たれ、
実際、親のレールを歩んできたRinは
存在意義を見失っているのではないだろうか。
親の言いなりから自分を解放した、とも見える。
蜂蜜の生姜焼きとハニージンジャーソテー
凪沙の作った食事
凪沙が母親らしく、初めて一果に振舞った夕食。
ハニージンジャーソテーにニンジンのサラダ、卵焼き、ごはんとお味噌汁。
「ハニージンジャーソテー」と言う凪沙に「蜂蜜の生姜焼き」と言う一果じゃれ合いのような掛け合い、その後、「洗濯物出しといて」「うん」という母子のような掛け合いから二人が家族になった姿を現している。
一果の作った食事
広島から東京に戻ってきた一果。
生姜焼きは真っ黒でお世辞にも上手とは言えないが、中三で台所に碌に立ってないと考えれば、頑張ったとわかる。
テーブルには凪沙が一果のために以前作ってくれたメニューが並ぶ。
ハニージンジャーソテーにニンジンのサラダ、卵焼き、ごはんとお味噌汁。
一果にとって母親の味、家庭の味がこのメニューであることが伺える。
この食卓が、凪沙と一果が家族であることを表すシーン。
女の子のスクール水着
序盤のニューハーフショークラブでのテーブルトーク(伏線)
「小学校の時に行った海で”何故自分は女子の水着じゃなくて、男子の水着なのだろう?”と思い
それ以来海に行ってない。だから海行って見たいわ」と語る
ただのオカマあるあるのトークと思われそうなシーンだが
凪沙の本心が隠れている
性転換術失敗後、瀕死ながらも海に行きたいという(伏線回収)
死も近く瀕死の状態で一果に連れて行ってもらった海で、スクール水着の女児の幻覚を見る
女児は始終背中を向けていて、顔は見えない。
体の性別を間違えて生まれてしまった凪沙の本当に在りたかった姿の幻覚である(伏線回収)
実母カラー水色 ⇔ 本当の母親じゃない凪沙カラー赤
実母:水色
実母は登場時、比較的一貫して水色を着ている
初登場時のキャバクラ:濃い水色のスーツ
東京の凪沙のアパートの前で迎えに来た時:水色のマフラー
一果卒業式:淡水色スーツ
凪沙が広島に来た時:濃いめの青
凪沙:赤
母親と対照的に凪沙は赤一色の装い
実母との対局性と凪沙の女性性を表していると思われる
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実は、映画最序盤のニューハーフショーの白鳥の湖のバレエシューズも赤
映画技法
グラフィックの一致
グラフィックマッチカット
グラフィックマッチカットは、前後の画像の形状が一致するカットです。
https://note.com/flamo_llc/n/nac005b1a80af
シーン内の画像の感情的な意味合いを結合させることで、何かのシンボルとして強調させることができます。
新宿東口:一果のギャップを描く:不安と不満でいっぱいで上京⇔望んで上京
母親のネグレクトから顔も知らぬ叔父の元へ行くため上京する一果
見知らぬ駅前で迷子で疲れたように座りこんでいる
中学卒業後、望んで凪沙の元へ行くため再び上京
一果の足に迷いはなく、颯爽と歩いていく
同じ場所を使って、時間軸をずらすことで、キャラクターの心境の変化を観客に再認識させる技法と思われる。
血は繋がっていなくとも凪沙の”子”となった一果←トレンチコートとピンヒールの後ろ姿
トレンチコートとピンヒールが印象的な凪沙
印象付けるために幾度となくトレンチコートとコツコツとピンヒールを鳴らしながら歩く姿のシーンが出てきます
ーーー
タイへ性転換術に向かう凪沙
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広島から帰る凪沙
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アメリカの石畳をコツコツとハイヒールで歩く一果
ハイヒールの色は凪沙のイメージカラーの赤
トレンチコートは、日ごろ凪沙が着用していたキャメル色
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映画最序盤のニューハーフショークラブの白鳥の湖のバレエシューズも赤
このことから「一果は凪沙の子となり、白鳥からお姫様に成った」というメッセージと思われる
クロスカッティング+アクションマッチカット(一果とRinの「アルレキナーダ」よりコロンビーヌ)
クロスカッティング
映像の編集における「クロスカッティング」とは、いろいろなシーンを交互に移動して、違う場所で同時に起きているアクションを映し出す動画編集テクニックのことです。 「パラレル編集」とも言われるこのテクニックは—
https://www.adobe.com/jp/creativecloud/video/discover/cross-cutting-film.html
アクションマッチカット
アクションマッチカットは、動きを一致させたものです。
https://note.com/flamo_llc/n/nac005b1a80af
2つのシーンの物理的/時間的なつながりを強調し、映像にダイナミックな印象を与えることができます。
八王子全国バレエコンクールで踊っている一果
両親の友人の結婚式会場の屋上で踊るRin
音楽のマッチ
ミッドナイトスワンのテーマ曲「Midnight Swan」
凪沙と一果の美しい母子としての美しい思い出シーンにのみかかります。
この曲聞くだけで涙出てくる
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ニューハーフショーで舞う一果
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公園で一果からバレエを習う凪沙
手すりをバーと見立てる2人
手を繋いでいるようにも見えるように撮っているのがわかる
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死の間際の凪沙が一果に踊りを見せてと願い。海辺で踊る一果
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エンドロール
エンドロールで丁寧なテーマピアノ曲を聞かされて
今までの凪沙の人生とか、葛藤とか、渇望とか、ただただ自分になりたかったこととか
色々思い出されて
わ~~~となります
カメラの手持ちの”揺れ”➡心の揺れ
カメラが手持ちの揺れが、心の「ゆれ」を体現しています。
凪沙の死を感じ取った一果が海に向かって進むシーン
長尺でわざと手振れを孕んだ撮影で、一果の心が激しく揺れているのを表している
カメラの手持ちの”揺れ”➡自分も歩いて追体験している没入感の誘導
こちらのカメラの手持ち揺れは最序盤、一果が泥酔した母親を迎えに行く時に使われています。
結論:白鳥から人間に成れた一果と成れなかった人たち
一果
【白鳥】ネグレクトされている少女
【人間】バレエと出逢い、凪沙という母と出逢い、バレリーナになれた
Rin
【白鳥】
母親の入れ子人形、代替品、バレリーナになれなかった母親の夢を代わりに叶えるための犠牲者
【人間になれず死】
自分も好きではあったバレエの道が閉ざされ、代替品としての人生もなくなり、代わりに得ていた親からの愛や関心の喪失を感じ。自分の人生を立て直さず、絶望して自死を選択
凪沙
【白鳥】
本来は人間であるオデット(白鳥の湖の主人公、お姫様)は悪魔の呪いによって白鳥に姿を変えられている
本作は白鳥の湖のオデットを凪沙に重ね合わせ
本来は女性である凪沙は、間違って男性体として生れ落ちてしまった(トランスジェンダー)
なんとか、元の姿(女性)になる為に、ニューハーフショークラブで生計を立てながら
性転換術の費用を貯めている
【人間(女性であり母親)になるも、なりきれず衰弱死】
女性になりたい、そして母になりたいと性転換術をして、自然な形ではないにせよ
人間(女性)の体を手に入れるも
術後の経過が悪く、血を流し、衰弱死してしまう
幸せを得るのに、それぞれが壮絶な努力と忍耐を要しているワン
それなのに幸せを得ることが困難過ぎて、しんどいンワ・・・
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Amazon Primeなら
途中でトイレ行ったり離席気軽にできるしいいな~と思って見始めたら
良い映画過ぎて、結局ノンストップで見てしまった
それを横目に見ながらポメラニアンは見るとはなしに寝そべって眺めていたワン
トランスジェンダー関連で
「女性になりたい」「本当の私に近づきたい」という姿を丁寧に描いた別作品で
「リリーのすべて」という作品もあります。
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レビューと解説を読んで
ミッドナイトスワンを観たくなったら下のボタンわ
ちなみに、高画質だと¥500。標準画質だと¥400で見れるワン
主は標準で良かったのに、間違って高画質で見ちゃったンワ
そもそもPrime Video入ってないって人は以下から
視聴後感がすごく満足できるし
家族を大事にしようって思わせてくれる映画でした。
また、素敵な映画に出会えるといいな
( *・ω・)ノ~デハマタ
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